みなさん、こんにちは。
60歳からの再始動(Restart)を、一歩ずつ進めているTOMです。
全10話でお届けしてきたこの連載も、残すところあと2回になりました。
前回は、YouTubeを始めたことで、それまで自分でも知らなかった自分に出会えたお話を書きました。
今回は、少しだけ時間を巻き戻します。
60歳になった今、振り返ってみて強く感じていることがあります。
それは、
「私は、一人でここまで来たわけじゃなかった」
ということです。
人生の節目には、必ず誰かがいました。
そして今日いちばん書きたいのは、私が何もできずにいた時に、私を見ていてくれた人のことです。
📋 この記事の内容
「人との関わりで運が開く手」と言われた日
少し前、なぜか急に手相を見てもらいたくなった日がありました(vol.1)。
そこで言われた言葉が、今でも強く印象に残っています。
「あなたは、人との関わりを通じて運が開く手をしています」
その時は、「そうなのかな?」くらいにしか思っていませんでした。
でも今、自分の人生を振り返ってみると、
「本当にそうだったのかもしれない」
と思うのです。
18歳。夢に破れて、どん底に落ちた
私の最初の大きな挫折は、18歳の時でした。
芸能界という華やかな世界に憧れて、養成所に飛び込みました。
「これから夢が始まる」。そんな気持ちだったと思います。
ところが、現実はそんなに甘くありませんでした。
夢はあっけなく打ち砕かれ、実家に戻ることになりました。
希望も夢もなくしてしまった私は、半年間ほど、パジャマのままゴロゴロしていました。
今思えば、かなりのどん底です。
でも、そんな私に両親は、

「これからどうするの?」
「いつまでそんなことをしているの?」
「働きなさい」
と、追い詰めるような言葉を一度も口にしませんでした。
ただ、静かに私が立ち上がるのを待ってくれていました。
当時は、その優しさの意味を深く考えることもありませんでした。
でも今なら分かります。
あの「何も言わずに待ってくれた時間」が、私をもう一度立ち上がらせてくれたのだと思います。
そしてもうひとつ。
あの半年間は、ただ落ち込んでいただけの時間ではありませんでした。

「本当は何がしたいんだろう?」
「これからどう生きたいんだろう?」
言葉にはできないまま、心の中で少しずつ整理していた。
今思えばあれは、私にとっての「人生の棚卸し」だったのかもしれません。
その時には、そんなことになるなんて全く分かりませんでしたけどね(笑)
「うちのスタジオに来ないか」=一本の連絡=
そんな私のうわさを、どこかで聞きつけた人がいました。
当時、私が習っていたダンスの先生です。
ある日、その先生から連絡がきました。
「手足が長くて、身長もある。やる気さえあれば、うちのスタジオに来ないか?」
ゴロゴロしていた私に、わざわざ声をかけてくださったのです。
最初は、メインダンサーのお付きのような仕事から始まりました。
そこから3年間。
毎日ほとんどダンスのレッスンと、数時間のアルバイト。それだけで一日が終わる生活でした。
今思えば、あの3年間が私のすべてです。
- 体の使い方
- 人前に立つということ
- 一つの舞台をつくりあげる企画力
あの3年間で身につけたものが、今も私の土台になっています。
32年間のダンス指導も、スタジオの運営も、NPOの立ち上げも。
形は変わっても、使っている素材はあの頃のままです。
そして何より
あの一本の連絡がなければ、今の私は存在していません。
動けずにいた私を、誰かが見ていてくれた。
自分では「何もしていない半年間」だと思っていたのに、その時間の外側で、ちゃんと誰かが私のことを覚えていてくれたのです。
動き出したら、また次の出会いがあった
ダンス漬けの3年間を経て、私はまた次の道を探すことになります。

「何かバイトを始めよう」
そう思って受けたのが、スイミングコーチの面接でした。
採用通知が届き、初めて施設に行った日。
施設の案内をしてくれたのが、チーフのタカさんでした。
後に私の人生最高のパートナーとなる人です。
でも当時の私は、そんなことを知る由もありません。
なにしろ、私の片思いでしたから。
会員様にもスタッフにも人気の人で、私はその中の一人にすぎませんでした。
いろいろあって、一緒に働いた期間はわずか1か月ほど。
それが今では、二人で釣りに行って、YouTubeを撮っています(vol.8)。
あの日から、40年が経ちました。
そして、また仕事を探していた頃。
今度は友人から、ほぼ同じタイミングで2人に声をかけられました。
「出産と渡米で教室を離れるから、仕事を引き受けて!」
それが、32年間続くダンス指導の道へつながっていきました(vol.5)。
人生って、本当に不思議です。
自分で完璧に計画して進んだ道ではありません。
一歩動いたら、次の出会いが待っていた。
そんなことの繰り返しでした。
気がつけば、ずっとそばにいてくれた

もうひとつ、どうしても書いておきたいことがあります。
18歳の時、同じ夢を追いかけた友がいました。
あの挫折のあと、私たちはそれぞれの道へ進みました。
連絡を取らない時間も、長くありました。
その友と再会したのは、NPOを立ち上げる少し前―ほんの数年前のことです。
不思議なもので、久しぶりに会っても、間に空白があったようには感じませんでした。
そして今も、その友は私のそばにいて、支えてくれています。
縁は、切れていたわけではありませんでした。
ただ、少し離れていただけ。
会っていない時間があっても、続いている縁があります。今、離れてしまったと思っている人とも、まだ終わってはいないのかもしれません。
もし今、立ち止まっているあなたへ
もし今、

「何をしたらいいのか分からない」
「もう歳だから遅い」
「今まで何をしてきたんだろう」
そんなふうに感じている方がいたら。
私は、自分の経験からこう伝えたいです。
🌱 動けない時間は、無駄な時間ではありません。
18歳の私は、どん底の中で棚卸しをしていました。苦しくて、意味なんて何も分かっていませんでした。
そして今、60歳の私も棚卸しをしています。でも今回は違います。人生の断捨離と棚卸しを、楽しんでやっています。
同じ「棚卸し」でも、こんなに違うものなんですね。年齢を重ねるって、悪いことばかりではありません。
棚卸しは、何歳からでもできます。
どん底でなくてもいい。
「そろそろ、身のまわりも気持ちも整理したいな」――そのくらいの気持ちで十分です。
そして、あの日の私がそうだったように。
あなたのことを、どこかで誰かが見ていてくれるかもしれません。
私は、完璧な人生を歩いてきたわけではありません。
不器用で、真剣になりすぎて、人とぶつかったこともありました。
でも、その時その時で真剣に向き合ってきた。
そして、そんな私を大切にしてくれた人たちがいた。
だからこそ今度は、私も誰かに何かを返したいと思っています。
誰かにもらった勇気が、自分の中に残っている。
そしていつか、自分が別の誰かに勇気を渡す。
それが「縁」なのかもしれません。
あなたの人生の節目には、どんな人がいましたか?
🌸 最後に
私にとって一番大切な財産は、お金でも、肩書きでもありません。
これまで出会ってきた人たちとの、記憶と信頼です。
「楽しかった人生だったな」
そう言って笑って休める時が来るまで。私はこれからも、少し不器用なまま歩いていこうと思います。
📢 次回予告(vol.10・最終回)
次回はいよいよ、この連載の最終回。「60代の私が10年前の自分へ伝えたいこと」をお届けします。50歳の私に、今なら何と声をかけるだろう。連載の締めくくりです。
📖 連載一覧|60歳からのブログ
- 手相を見てもらったら、そこには私の「人生そのもの」が刻まれていた
- 60歳を過ぎてYouTubeを始めた理由
- パソコンが苦手な私がホームページを作った話
- ブログなんて無理だと思っていた
- ダンス教室を続けてきて思うこと
- 少子化で変わった教室運営
- AIとの出会いで人生が変わった話
- 60歳でYouTubeを始めたら、知らない自分に出会った
- 私の人生を変えた出会い:節目にはいつも、誰かがいた(今ここ)
- 60代の私が10年前の自分へ伝えたいこと(次回・最終回)

