「天邪鬼な私が、60歳を前に『こりゃ!行かん!』と叫んだ理由」

日常の気づき暮らしの工夫

ちょうど5年前のことです。私のなかで、ある「変化」が始まりました。

もともと、年度末やちょっとした空き時間ができると、部屋の模様替えをするのが好きでした。 重たい家具を大移動させて、周りの景色をガラリと変える。それはそれでリフレッシュになっていたのですが、当時の私にとって、それはあくまで「見た目」を整えるだけの作業でした。

そこに明確な「目的」があったわけではなかったのです。

そんな私の意識を大きく変えたのが、あのコロナ禍でした。
仕事のあり方、友人との付き合い方……。当たり前だった日常が大きく変化するなかで、私は「何かを変えたい」という切実な思いを抱くようになりました。

そんな時、YouTubeでふと耳にしたのが『断捨離』という言葉でした。
最初は単なる「片付け術」だと思って見ていたのですが、読み解いていくうちに、その言葉の持つ意味の深さに驚かされました。

断捨離とは、ただモノを捨てることではなく、モノを通して自分を知り、心の混沌を整理すること。その教えに触れながら、ふと自分の将来に目を向けたとき、ある問いが頭をよぎりました。

「年々、体は老いていく。もし今、私が居なくなったら、この山のような荷物は誰が片付けるのだろう?」その瞬間、頭の中に響き渡った声があります。

人任せにするのではなく、動ける今のうちに自分でケリをつけなきゃいかん。そう強く背中を押された気がしました。

それから5年。
私は今、自分の「老い」と素直に向き合いながら、断捨離を続けています。
かつての「見た目を変えるための模様替え」は、自分自身の人生を軽やかにするための「仕舞い支度」へと変わりました。

モノが減るにつれ、不思議と心の中に新しい風が吹き抜けるような、清々しい景色が広がり始めています。

断捨離は、過去を捨てることではなく、これからをより良く生きるための準備。
5年経った今、ようやくその本当の意味が分かりかけてきたような気がします

断捨離とは

断捨離の言葉に隠された「本当の意味」

「断捨離」という言葉は、今や誰もが知る言葉です。

  • 断: 不要なものが入るのを断つ
  • 捨: 不要なものを捨てる
  • 離: モノへの執着から離れる
    意味を知ることは、行動を起こすためのスイッチになります。でも、私には少し「引っかかり」がありました。

天邪鬼な私の「納得」までの道のり

正直に言えば、私は少し天邪鬼な性格です。「これは不要なものだから捨てなさい」と言われると、つい反発したくなってしまう。腑に落ちるまでに、人より少し時間がかかったかもしれません。けれど最近、ようやく気づいたのです。これは誰かに言われる「不要」ではなく、自分自身が「手放す」と決めるプロセスなのだと。

「60代」というタイミング――なぜ今なのか?

60歳になったから、キリ良く断捨離!というわけではありません。
ただ、現実的に自分の体と向き合った時、ある想像が頭をよぎりました。
「もし70代、80代になってから重い腰を上げたらどうなるだろう?」
体が思うように動かず、片付けが大怪我の元になるかもしれない。明日の筋肉痛を恐れて「まあ、いいか」と諦めてしまうかもしれない。

未来の自分へのプレゼント

「こりゃ!行かん」と声が聞こえたのは、そんな未来の自分を救いたかったからかもしれません。今のうちに動いておくことは、将来の自分への、そしていつか片付けを担う誰かへの「優しさ」でもあるのです。

読者の皆さんへ

皆さんはどうですか?
「いつかやろう」と思いながら、筋肉痛や体の辛さをけがする事を想像しては、後回しにしていませんか?
天邪鬼な私でも、5年かけて少しずつ景色を変えてこれました。今動くことが、一番の近道かもしれません。

誰かが行ってました!

『いつかやろうは、ばか野郎!!』って(笑)

一緒に心も身体も軽くなろう!!一緒に頑張りましょう~